自由の象徴画像
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一昨日の法律相談募集検討の投稿について、多少補足させていただきます。

まず、相談の対象外としては、税務関係以外に、事業に関するものも対象外とする予定です。これは、私のビジネスの本業に関係があるからです。

次に、相談は、一般の人々からしたらどうして争っているのか不思議がられる権利や自由を求めている人からのもの優先したいと思います。

たとえば、夫婦が姓を異にする自由であります。平成27年12月16日、最高裁判所は、大法廷判決として、夫婦が婚姻の際に定めるところに従い夫又は妻の氏を称すると定める民法第750条の規定は、第13条、第14条第1項、第24条に違反しない旨の判断を行いました。最高裁判所が、この事件で弁論を開くと公表されたとき、夫婦別姓を認めない現行民法第750条について、違憲と判断するのではないかといわれていました。そうなれば、夫婦が姓を異にすることを権利として認められることになっていました。私もそうなることを期待しました。

しかし、上記のようにそうはなりませんでした。もっとも、岡部喜代子裁判官、櫻井龍子裁判官、鬼丸かおる裁判官、木内道祥裁判官、そして、山浦善樹裁判官(当時)の合計5名の裁判官は、違憲との判断をしています。この中で、木内裁判官は、同じ姓を称することで家族の一員であることを実感できるという多数意見に対して、「家族の中での一員であることの実感,夫婦親子であることの実感は,同氏であることによって生まれているのだろうか,実感のために同氏が必要だろうかと改めて考える必要がある。少なくとも,同氏でないと夫婦親子であることの実感が生まれないとはいえない」という意見を示しています。まったくその通りと思います。

平成24年の選択的夫婦別氏制度に関する世論調査結果によると、日本では、多数の人が夫婦の姓は同一であるべきと考えているようです。このように、多くの人が受け入れていることと反対のことは、多数決原理が支配する民主主義社会では、容易には認められません。

しかし、日本国憲法は、個々人を個人として尊重しています。そして、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義以外の価値観を保障していません。逆にいえば、国民の中で、憲法を否定する価値観を持つ者でさえ排除しないのです。端的に、他人に迷惑をかけるものでなければ、基本的に、個々人にいからなる行為であったとして、自由にその個々人の意思に基づいて行動する自由が保障されているのです。夫婦別姓に関しても、夫婦間で別の氏を選択したとしても、誰の迷惑にもなりません。確かに、子供が不利益を受けるという意見があります。しかし、子供同士は、性より名で呼び合うことが多いですし、両親の名前を明らかにしなければならない場面が、子供同士の関係でそれほど多くあるとも思えません。子供に不利益があるというのは、選択的夫婦別姓を否定するこじつけのように感じられます。

むしろ、憲法的には、夫の氏とは異なり自らの氏を継続したい女性や妻の氏とは異なり自らの氏を継続したい男性が、そのような選択を行うことができないことの方が問題のはずです。現状は、結局、戦前の個人より家を重視する考え方を引きずっている部分が残っていて、この選択的夫婦別姓を認めない制度もその一つではないかと私は考えます。

選択的夫婦別姓を認めない民法第750条は、このように個人の尊厳を侵害しているのですから、違憲と判断されるべきなのです。本来、裁判所は、多数決原理を原則とする民主主義体制の下では保護されることがない、選択的夫婦別姓を求めているような少数者の人権を保護するために存在しているはずです。しかし、日本の裁判所は、体制派にくみする出世意識の強いヒラメ裁判官が多数を占めているといわれているため、少数者より権力者寄りの判断がなされることが多いといわれています。

私は、無料で法律相談を受けるのであれば、このように権利・自由を獲得しようと行動している人の相談を受け、一緒に考えて、そのような人のために何かできればと思っています。日本人としては、あまり意識することはないかもしれませんが、権利・自由は、本来、与えられるものではなく、自ら勝ち取るもののはずです。私は、1年以上、拘置所に拘束され身体の自由を奪われたことで、自由の大切さを身をもって実感しました。それゆえ、守られるべき自由が侵害されている人と一緒に、困難な問題への対処方法を考えていきたいと思っています。

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